体験=理解ではない@他者に踏み込んでもらうことでしか見えない自分のこと
昨日の神様飲み会で ←w
「君は九死に一生を得たんだから、
その命で、君の手で、
幸せに置き換えるべきことがまだあるんだよ」
って言われて。
日常会話で、
なかなか九死に一生って出てこないやん?w
七転び八起き的なニュアンスでサラッと
(*´ω`*)はーい って済まそうとしたら
「いや、君は真意を全く理解してないよ」
調べたの。
日本語って、ほんまに的を得た表現になってるよね。
九死に一生を得る
言い換えると▶︎「一命を取り留める」
一命を取り留めるって、
手術室の前とかでドクターに言われるやつちゃう?w
「九分通り助からない命」… (꒪д꒪II
あ…私あのとき…本当に命の瀬戸際に….
って鮮明にイメージできたらさ、
もう、大事なことなんて ひとつしかなくて。
幸せぇー♡♡って生きながら
周りの人まで笑顔にしたいだけだったよ。
もう私は、一生分苦しんだからw
余生は、ただひたすらに
愛にヒタヒタ浸りながら
幸せに満たされて生きるって昨日決めた。
「君は九死に一生を得たんだから、
その命で、君の手で、
幸せに置き換えるべきことがまだあるんだよ」
体験したからといって、
その本当の意味を理解できてるとは限らないんだね。
…っていうか、
体験することにいっぱいいっぱいで
渦中にいるときに
自分のおかれた状況を俯瞰で見て理解するなんて無理かも。
自分の体験(主観)の中に、
他者(客観性)に踏み込んできてもらうことで
完全な体験となって、
そうなったもの(体験の元を取る的な?w)だけが
手放す準備ができたものとして、手放しに向かうんだろうな。
ちょっと前に頂いたフレーバーティーのパッケージが
なんかもう・・・見てるだけで落ち着くし満たされるし、で。
目につくところに置いてるんです。
「メルシー ミルフォワ」とは、
フランス語で「心からのありがとう」を意味する感謝の言葉です。出典:LUPICIA
心からのありがとうだけを
生きるモチベーションにしたいな
そしたらきっと、幸せからブレることなく
幸せの中で、だいすき!!って言い続けられるよね。