真実「この中で一番大切なのはどれ?」@波動のレベルによって見えている世界が違う

真実は誰もが一瞬で納得し、その場を正しく理解できるようなもの

 

誰かにとって都合の良いもの、みたいに

どこか一方に偏ってはいないという意味ね。

 

ゆえに、我を張るように「自分のことだけ」を考えていると

真実が見えなかったり、

真実のそのままを認め、受け入れることはできませんよという話し。

 
 

最近ね、笑いながらお話しできるからお気に入りの

プールで低体温症のたとえ話を置いておくね。

 
 

登場人物は、

① プールで遊んでいる子供

② その子の親

③ プールの監視員

 

自分は、どの立場で

「低体温症」(←今の世の中の現状)と関わっているのか

このたとえ話の中で把握してみて欲しいんだけど。

 
 

プールの監視員さんが、

プールの中で唇が紫色になってガタガタ震えてる子を見つけました。

 

プ 「君は、一回水からあがった方がいいね、こっちにおいで」

 

子 「嫌だ!!まだ遊びたい!!」

 

プ 「だよねw わかるけど、寒いでしょ?10分休憩しようよ」

 

親 「ウチの子に何か? お金払ってるんだからこの子に干渉しないで」

 

 

プールの監視員さんの手には、

水からあがればすぐに羽織れるダウンがあるっていう状況ね。

 

ちなみに、軽い低体温症なら

体の中心部から、ゆっくりと温めてあげることで改善するもの。

プールサイドで処置完了!っていう。

 

この、低体温症が重度であると

「凍死」という死に方になるやつのことだよ。

 

 

 

今ここで、「真実」が見えているのは

プールの監視員さんだけ。

 

この場合の「真実」は、

子どもの唇が紫色で、震えているということ。

 

 

真実が捉えられていないのに

「自由に遊びたい」を優先させる子どもは、

「引き寄せの法則通りなら自分の欲求に素直に従うことで望みはすべて叶う」とか言っちゃうような

スピリチュアル(エネルギー)の法則を

勉強もしないでいいところだけを曲解して

自分が今向き合うべきことから逃げるための言い訳として

誰かの説を利用している状態。

 

 

「子どもの自由を尊重したい」という親は、

ちょっとでも自分の子どもを見れば

いつもよりも顔色が悪く、唇が紫色、歯は寒さでカチカチ鳴ってるってことにくらい

簡単に気がつきそうなものなのに

子どもに目をやる前に、

自分の子どもに干渉されたことから自分を守ろうと反応してる。

 

子どもの様子(真実)よりも、

干渉されたことの方が重大だと捉えているために

状況が理解できていないからこそ「感情」で「過剰」に反応してくるよね。

 

 

 

 

子どもの言い訳

子どもを見てない親の言い分

自分が今手に持っている子どもを救うための軽いダウンも、

水中で水を吸ったら命取りになるから

水からあがらないのなら、渡すことの方が危険。

 

こういう中で、

真実から目を逸らしている(向き合うべきものから逃げている)人たちの話しを

親身になって聞いているうちに

どうしたらいいのかが、どんどんわからなくなる。

 

 

「真実」ではなく、

「誰を立てたらいいのか」がわからなくなるんだよ。

 

誰に気を遣うべきなのか、がわからなくなってるだけなの。

 

真実に比べたら ↑これはそれほど重要じゃないよね。

だから、真実が見えると迷わないの。

 

だって、狂ってる人に狂った気を遣った分だけ

事態を悪化させ、子どもを重篤化させてしまうんだもんね。

結局、最終的には自分で悪化させた分だけ自分の首をしめちゃうから。

 

 

だからこそ👼←彼らは、そういうところから手を引かせているの。

線引きをしなさいってね。

 

プールの監視員さんに感謝や敬意を向けられるような

真実をみようとしている人(すぐに水からあがる人)から

ダウンを渡して欲しいでしょ。

 

 

真実なんて、実際めちゃくちゃ どシンプル

一度それを見れば、誰にでも

どうしたらいいのかがわかるような。

 

我とか私利私欲的な視野の狭い欲から目を離せば

自然と見えてくるものというか。

 

「言い訳」みたいにごちゃごちゃしたものが

真実の前ではどうでもいいことで、

核心を理解してないからこそ、のものだとすぐにわかる。

 

我欲にとりあってるからこそ、

自分もその世界(事の核心を理解できていない世界)に巻き込まれてるんだって。

 

 

 

プールで遊んでての「唇真紫鳥肌総立ブルブル病」はね

水から10分あがるだけで「正常」を取り戻せるのw

 

浄化も一緒。

必要なときに必要なことを するか、しないか、が

その先の差を、大きく隔てるみたいに分けるものなの。

 

それが必要なことに気づくだけで、

そのタイミングに気づくだけで、

とても簡単なことが自分を救ってくれる。

真実さえ捉えられていればね。

 

線引きをした水際のどちらが

今のあなたに必要なものなのか。

今のあなたを大切にできるものなのか。

今のあなたにとって浄化になるものなのか。

 

 

真実はいつも(ひとつって言うと思った?コナン見すぎだよw)

☞この中で一番大切なのはどれ?

って聞いてくるの。

 

 

一番大切なもの、一番尊重するべきところは、

だいたい「いのち(魂)」のすぐそばにあるんだよ。

 

 

だから

真実(いのち)の前で我を張る(的外れな言い訳をする)のは

単に、誰を論破すれば自己満足として満たされるのかっていう

空っぽの無駄すぎる戦いで

なんか…本当にカッコ悪く見えちゃうんだよね。

おバカさんなのかな?って。

 

過剰殺傷、オーバーキルは、野蛮でしょ?

同じように見えてしまうんだ。

無駄に感情的になって、

不必要に人と戦ってる人を見ると。

 

「唇真紫鳥肌総立ブルブルさん」←これも敵じゃないし

プールの監視員さん ←これも敵じゃないし。

 

じゃぁ、人を酷く傷つけながら何と戦ってる気でいるの?ってなるもん。

 

 

 

で、真実が見えた途端に、

 

(だいたいの人は、

自分の頑なな態度のせいで何かを失ってから真実が見えたりするけど。)

 

きっと自分でも今までのこだわりや執着がばかばかしく思えるくらい簡単に

「あ、こんなに唇が紫になっちゃってるならすぐ水からあがった方がいい」って

速攻で水からあがるんだよw

速攻で真実に反応するの。

 

じゃぁ、さっきまでのあの頑なさは何だったんだよー!!

ってなるのが毎度のオチ

そんなモンなんだよ人間ってのは。

 

 

真実が見えてからじゃないと

本当の意味ではわかりあえない。

 

真実の愛とかもそうでしょ?

失ったときに、その愛がどれだけ凄くて尊いものだったのかを知る。

失ったときに、その愛がどれだけ凄くて尊いものだったのかを知ってもらえる。

 

親がしてきてくれたこととかもそうだよね。

してもらってるときよりも、

自分が同じように子どもを愛する番になって

改めて、親がしてくれていた愛がとても尊いものだって気づく。

 

 

皮肉だけど、人は

失ってからでしかわかりあえない時間を

「わかりあえない」として共に過ごしていたりするんだよね。

 

 

だからこそ私は今、

真実の上でわかりあえるあなたといられて、

真実の上で時間を重ねられて、

幸せだなって思うの。

 

一緒にいられるときにわかりあえるってさぁ、

一緒にいる「いま」を

一緒に大事にできる感じがして

それが本当に本当に幸せで楽しくて嬉しいことだなーって満たされる♡

 

心から感謝してるよ、あなたという存在に。

 

 

 

 

余談なんだけど、

真実「この中で一番大切なのはどれ?」

ってタイトルにしようと下書きしてたら

「まみって誰?」って言われて笑ったw

 

 

あれだね、女の子想定で

「この中で一番大切なのはどれ?」って聞かれたら

「こっちとこっち、どっちが似合うと思う?(私の正解は絶対こっち♡)」みたいで

まみチャン、ちょっと怖いねwww