向き合うべき思考を停止するために感覚に逃げるとサポートされない単なる妄想となる。

 

向き合うべき思考からの現実逃避で自分の内側にこもると
高次の存在との繋がりが無い「単なる妄想」になる。

 
こうであって欲しいという「我欲」で、
無理に高次元や高次の存在とコンタクトを取ろうとすると、
実際には、我欲から生まれた妄想に、
サポートや力を得た気になって、
妄執で他者や周囲を振り回すようになる。

 

この状態を、健全な人から見ると、
「憑りつかれているよう」に見えるのは、
妄執という言葉の通り。

 

妄執とは

迷いによる執着。成仏を妨げる虚妄の執念。

妄執の場合には、その対象となる妄想自体が根拠や妥当性に欠けるために、
客観的に見て甚だ困った状態に陥る事になる。
何かに固執する事は、頑なな態度とセットになって、初めて成立しうる。
否定されると極めて感情的に反応しうると言う事でもある。
それだけに、あからさまに間違いや問題点を指摘されうる妄執においては、
益々感情的に対応する機会が増えるという事でもある。

出典:goo-Wikipedia

 
簡単に言うと、自分に酔っているために
視野が極端に狭く、
自分にとって都合の良い解釈で物事を捉える状態。
 
極端に視野が狭くなるのと同じ分だけ
自身の存在波動が極端に下がり、
それを「憑りつかれている」ように見えるということが
未浄化霊と同じような波動レベル帯の存在として見えていることを意味している。
 

過剰な感情が目を曇らせサインを曲解し妄想を強める

 
始めは、大きな感情を持て余すことから
はけ口を探しているうちに、
簡単、手軽、適当、誰かがやってくれる、依存、無精、保身と、
ずるい方に妄想が向かい、
自分が動かないことで得た気になっているものから
離れられなくなってしまったのでは?
という感じでしょうかね。
 
どんどん内向きに落ちていくんだと思います。
同じことを続け、深めるのではなく、
別のものや、別のルートに乗り換えることが必要。
 
酔っているのなら、
もう、アルコールは深めない。
別の、としてお水かジュースを
ってのと同じ。
 
今がつらいからって、更に刺激を!と
今までのを強めると、
更に妄執が深まり、
捉えられない現実がこじれるように
手の中から零れ落ちていくから。
 

外に向かって行動することで視界は開ける

 
今、自分の中にあるものが
妄執から生まれたピースであるなら、
空白や、未来を埋めていくのに
自分の中から合うピースを探したり、
無理やり当てはめたりしない。

 
捉えられていない物事への過剰な反応になったり、
被害妄想などの
自分を傷つけるための素材を大きくしてしまうことになるから。
 
第三者の話しを、聞く耳を持って意識して聞くことや、
わからない空白の部分を、
妄想で埋めるような自己解決をせず
「正解」で埋め、満たす作業をしていくこと。
 

中立や、公正なエリアからのピースを
あなたの中の「わからない」という「空白」のところに置いてみるだけでも、
本当の全体像に近いものが見えてくるはず。
 
妄執の場合は、
自分だけで何とかしようと意固地になるように無理をすることで悪化する。
 
一度執着を捨て、
「第三者」や「普通の人」など、
自分の中に、社会と繋がる登場人物を増やすことで
大きくバランスを欠いていたエリアが
調和へと向かい、バランスを整え始める。
 
自分の感覚を過信しすぎることは
「傲慢さ」として人の目に映るということも
意識しておくと、
妄執を強め、深めようとしたときには
きっと周りの人が
優しく声をかけ、教え、止めてくれると思いますし。
 
周りと共生していくことは、
愛の中で生きることだから。