「目的」とは行動に自分の魂を込め「意味あるもの」へと昇華させるもの

 

「目的」とは行動に自分の魂を込めるための大切なもの。

空っぽにならないために。

空っぽにしないために。

空っぽを生み出さないために。

 
 
 

「学習を伴わない行動は致命的である。行動を伴わない学習は無益である」

メリー・ビアード

 
 

↑「目的は?」って聞かれてる。

 
 
 

「力がないからといって何もしない人は、 力があっても何もできはしないんだ」

大山倍達

 
 

↑「目的がないからだよね?」って言われてる。

 
 

 

〇〇だから〇〇にしたい

 

じゃぁまず、今できることから!

ってなるでしょ?

 

この時点で「何もしない」という選択肢は自ずと消えてる。

 
 

〇〇にしたいんだもんね?

思考がここまで辿り着くと、

…というか、

ここまで辿り着くからこそ

自分には「力がないから」なんて思わなくなる

目の前にはただ「やるべきこと」があるだけ。

 
 

 
 

今まで「自己集約」の大切さを

ひとつずつ積み重ねるように説明し、

各々獲得してきたと思っていました。

 
 

「目的」という意識が薄れるのは、
自己集約が弱くなってきているとき。

 
 

今、環境がとてもシビアゆえに

他者と関わるときに優しい人ほど

自分の内側に他者を受け入れ抱えすぎてしまいます。

そして、自分がどうしたいのかを見失う。

 
 

他者を受け入れ抱えすぎると、

自分が「空っぽ」になる。

誰もが経験としてこの感覚を知ってると思う。

自分を周囲のために使い果たして
自分が空っぽになる
あの感じね。

 
 

そこから

自分にとって「気持ちのいい状態」を見失うからこそ
「目的」を見失う。

 
 

そんな状態で闇雲に何をしても

「学習を伴わない行動は致命的である。

行動を伴わない学習は無益である」

↑こうやって、どちらかが欠ける。

 
 

二輪のうちの片輪が無ければ

コンパスみたいに

同じ場所をグルグル回り続けるだけだよ。

空っぽだよ。

 
 

それを「頑張ってる」とは

やっぱり言えなくない?

「評価」するのが難しいよね。

建設的に何かを生み出してはいない空っぽの頑張りだから。

こういうのを「空回り」って言うんだよね。

 
 

本人的には頑張ってるんだと思うけど、

実際は同じ場所に留まってしまっている。

グルグルとね。

 
 

前に進んでこそ!って思うじゃない?

頑張り方を間違えてしまうと

新型うつみたいに

「こんなに頑張ってるのに周りが認めてくれない!」って主張する人になっちゃうよね。

いや、あなたが同じ場所をグルグルしてるからだよっていうのが

実際の答えだったりするんだけど。

 
 

皮肉にもこういうのほど、

本人だけはそれに気づけないからね。

 
 

「頑張ってる」っていう実感が

周囲から目を逸らし盲目にさせちゃうから

「頑張る」を「頑張ってる」っていう

究極の「空っぽ」だと思う。

 
 

実際、一番しんどいんじゃないかな。

何をどうやっても ゼロとのかけ算だから。

 
 

盲目になってしまっているからこそ

聞く耳を持つことを心がけたら打開できるよ。

 

人の話しや助言を

できるだけ素直に聞くことを当面の課題として真剣に取り組む

そういうスタンスでいるだけでも

あなたの目にかかっている呪いは解けるからw

 
 

 

↓とても素敵だったので

「目」の成り立ちを。

 

「目」で見る行為というのは、ただ見るのではなくて、
見る対象と内面的な交感・交渉を持つ意味があった。

 森や川を見ることは、
その森や川が持つ自然の強い力を自分の身に移し取る行為。
つまり、対象の魂をよびこむことで
新しい生命力を身につけようとした。

出典:目の成り立ち - もののはじめblog

 
 

 
 

的」とは行動に自分の魂を込め「意味あるもの」へと昇華させるもの

 
 

「想い」というあなたの魂(いのち)が宿った行動こそが

あなたという人の本当の自己表現なんですよ。

 
 

そのすべてが「意味あるもの」である人と

そのすべてが「意味のないもの」な人と。

 
 

クリエイティブに生きているかどうかの

この差が、

今、本当に大きく開きつつありますよね。